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映画を見た記録です。映画評ではなく、個人的な感想。
ネタバレは気にせずに書いていますので、未見の方はご注意ください。

『愛を歌う花』

映画

aiuta-movie.com

U-next で。

日本では少数の劇場でしか上映されてない。

上にリンクした公式サイトも、1枚ものでぺろっと作ってある。デザインもきれいだし、これで十分だけども。

美しい邦題につられて、恋愛ものかと思ったりすると、がっかりします。恋愛はテーマになっているけど、どっちかというと復讐譚かなぁ。

この映画で楽しかったのは、ハン・ヒョジュチョン・ウヒの衣装である。

キセン(妓生)のふたりは、お座敷以外のプライベートでもいつも韓服なのだが、伝統的な生地ではなく、洋服用の生地で作られていて、チマ(スカート)の丈はくるぶしが見える程度。とてもかわいい。

ハン・ヒョジュがいつもポソン(足袋)とコムシン(韓国風の靴)を履いてるのに対し、チョン・ウヒはヒール。そして、花模様のチョゴリ(上着)が多いハン・ヒョジュに対して、チョン・ウヒはストライプやチェックなどでモダンな感じ。

写真がちょっと小さいけど、足元わかるかな。

(画像出典 U-next『愛を歌う花』

レコード発売前に公演(といっても、場所はキャバレーだが)したチョン・ウヒが、打ち上げの場でハン・ヒョジュといっしょに歌うのだが、かたやキセンからは足を洗って垢抜けた洋装。それに比べてハン・ヒョジュのほうは、黒のレースのチョゴリとくどい色の花模様のチマで、きれいはきれいなんだけど、並べるともっさり見えるし古臭い。

このあたり、男の気持ちが移っていくのをきれいに見せている。

ただ、美術はあんまりいただけなくて、暗めの照明が効果的だった『王の涙』を見た後では、ぺったり明るい画面が多いのが、どうも安っぽく見える。植民地時代のセットも、きれいすぎていかにもセットという感じ。

いちばん違和感あったのが、ユ・ヨンソクのルックス。留学していた芸術家、ということでこういう感じにしたんだろうけど、現代の青年にしか見えない。

(写真 出典:詩人 尹東柱

これが植民地時代に日本に留学していた青年たち(後列右が詩人の尹東柱)の実際の写真。センスのよい洒落者だったとしても、雰囲気が違いすぎる。

それと結末近くで、ハン・ヒョジュを囲う日本の軍人(パク・ソンウン)の家の中が、なんともいえない妙なインテリアである。「よくわかんないけどこういうの日本的かなー」というのをいろいろ盛り込んだ感じ。でも、ぜんぜん違う。

この当時、京城(現在のソウル)には日本式の家屋もたくさんあったはずだが。

パク・ソンウン、日本語で演じているが、韓国の観客から見たらこの程度でだいじょうぶなんだろうなーという程度。この映画が日本で受けるとはとても思えないので、まあこのくらいでいいのかも。

原題は『解語花(ヘオファ)』。

キセンの別名で、言葉を理解する花、ということである。

キセン学校で、この言葉を「芸道に精進するという意味」云々と説明するくだりがあるが、これからほんとにキセンになろうという少女たちに吹き込むには、あまりに罪がありすぎる説明だろう。

実際に「手折られるもの」という意味だとあとでひっくり返されるが、それ以外にも、言葉は解するが自分からは言葉を発しない、意思のない単に美しさを愛でるもの、という含意もあるよね。

恋人を親友にとられたハン・ヒョジュが、日本人の有力者の囲い者になることによって権力を得てふたりに復讐するという話。

恋の恨みと、歌手としての嫉妬、ダブルなのでまったく救いがない。

ふつうは、どんなにくやしくてもなにもできずに終わるのだが、たまたまキセンという立場で、その気になれば権力に近いところに行けるというのが仇になった感じ。

陥れるための策略も確かにひどいけど、破滅した原因はそれぞれ自分たちで作ったというのも皮肉だ。

ふつう、親友の恋人ってそれとわかるものだけど、チョン・ウヒはわからないふりをしているのか、ほんとうに超鈍感なのか、最後まで罪悪感ゼロなので、あまり気の毒に見えない。

最後のハン・ヒョジュの老けメイクは微妙。別の役者にやらせてもよかったんじゃないかな。

 

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『王の涙 イ・サンの決断』

映画

movies.yahoo.co.jp

U-next で。

Netflix に移って、こちらは解約したのだが、「31日間無料で見られまっせ~」というリトライ・キャンペーンのご案内が来たので、利用することにした。

 

原題は「逆鱗」。

こっちのほうがずっとかっこいいじゃないの。こういうクソ邦題、ほんと勘弁してほしい。

正祖(イ・サン)の話は、悲劇的な死を迎えたその父も含めて、いったいどれだけ映像化されてるんだろう、というくらいベタなテーマだが、これはなかなかよいでき。

まず、抑えた色調の映像がスタイリッシュ。舟の場面での水の描写、ほの暗い宮殿の中など、実に美しい。

史劇を見るときは、衣装が楽しみなのだが、これも端正でよかった。

 

(画像出典:U-next 『王の涙 イ・サンの決断』

 

亡くなった祖父、英祖の若い妻(貞純王后 ハン・ジミン)は、ヒョンビン演じるイ・サンからすると、要するに祖母ということで、見た目つやつやなのだけども「お祖母様」と呼び礼を尽くすのが、なんとも気持ち悪い。

祖母の立場を利用して、あいさつに来たイ・サンの前で素足を出して幼い宮女に爪を切らせたり、ねちっこくいやがらせするのが、王といえども立場の弱い主人公の屈辱感を感じさせる。

ハン・ジミンは、ドラマの『イ・サン』では、ヒロインだったのが、今度は敵役である。思ったより貫禄があってよかった。

チョ・ジェヒョンの汚れぶり、老けぶりは、絶対楽しんでやってるでしょ、という感じ。

チョン・ジェヨンは、内侍(宦官)らしい青白くへにゃっとした雰囲気でありながら、脱ぐと鍛えまくって筋肉もりもりという二面性をうまく演じていた。

筋肉といえば、ヒョンビンは冒頭でいきなり腹筋をご披露している。

お気に入りのパク・ソンウンもホン・グギョンの役で出ているし、役者的には、見どころ満載である。

あとおもしろかったのが、武器の描写。

この時代の銃は火縄銃で、「雨の日には役に立たない、弓で射られて終わり」と、政敵の将軍に最初の方で言わせておいて、最後のクライマックス、襲撃の場面では、まさに雨の中で導火線の火が消えてしまい、鉄砲隊が次々やられてしまう。

あらやっぱり、あのじいさんの言ったとおり、ホン・グギョンの鉄砲隊はあかんのか、と思っていると、たくさんの障子戸をばたばたと一気に開くしかけがあり、部屋の中に隠れていた短銃の射手たちがいっせいに姿を見せ、襲撃隊をなぎ倒す。

殴られて目が腫れるとか、傷の作り方、血糊の吹き出し方がなかなかリアル。

リアルといえば、閉じ込めていた米びつを壊して、思悼世子(主人公の父)の死骸が現れるシーン、腰のあたりが茶色くなっていて、そりゃあ、糞便で汚れるのは当然だけど、それを絵で見せると、やはり無残さが際立つ。

この暗殺事件に関わっている全員が、なにやら若い頃からの因縁がある、というのも、ご都合主義といえばご都合主義なのだが、回想シーンの子役たちがいい感じなので、鼻につくこともなく見られた。

『中庸』の一節を、老論(ノロン、イ・サンの政敵)の高官たちとのかけひきに使い、最後にまたモノローグで使うとか、劇中のいろいろな要素がきれいに響き合っていて、ウェルメイドという言葉がふさわしい映画だ。

 

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『弁護人』

映画

弁護人 公式サイト

宇都宮ヒカリ座で。きょうがラスト。

観客はわたし以外には、ご高齢の女性とカップルが一組。全部で4人でした。

ヒカリ座で韓国映画、平日の昼間となると、いつもこんなもの。

 

舞台は1981年。

その年わたしは大学に入学し、たまたま出会った韓国文化研究会の先輩に誘われて、法学部にあったボックスについていった。落書きだらけで、掃除もろくにしてない汚い狭い部屋。なぜか、メガネをかけた青年のモノクロ写真がパネルにして飾ってあった。

「この人だれなんですか?」と先輩に聞いたが、なんと返事が返ってきたかは覚えてない。ただ、ほんとうのことは言わず、適当にごまかされたのは確かだ。

あとで知ったのだが、その写真に写っていたのは徐勝氏だった。

政治犯として韓国で捕まっている人だ、なんて答えたら、田舎から出てきたばかりのなにも知らない女の子はどんびきして、そのまま逃げていってしまうだろうと思って、まともに答えなかったらしい。

そんなことを思い出しながら見ていた。

後に韓国に留学して、デモが去った後の路上で催涙ガスを吸い込んでしまい、皮膚にも作用して、体中ちくちくしてたいへんだった、という友人の話も思い出した。

催涙っていうと、涙や鼻水出るだけかと思うでしょ、そんな生易しいものじゃない、と。

日本の大学はレジャーランドと言われていたころで、タテカンだらけのキャンパスの中にも、脳天気な空気が満ちていた。そんな中で、光州事件後、全斗煥政権下だった韓国の現実を少しずつ知っていった学生時代。

韓国ではかなりヒットし、2014年の映画賞は総なめという映画だ。

人権派弁護士になる前、高卒で苦学して司法試験に合格し、金儲けに邁進したものの、他の弁護士からはバカにされていた時代の話がかなり長い。

おそらく韓国ではこのあたりのエピソードはみんな知ってるだろうから、パスするわけにもいかなかったのかもしれない。

その中で、キム・ヨンエ演じる食堂のアジメ(プサン地方の方言でおばさん)とのいきさつも描かれる。

テジクッパを出す食堂を営みながら、女手一つで息子を釜山大に入れ、そのだいじな息子が行方不明になり、2ヶ月プサン中を歩いて探し回る母親。

息子命の、韓国の典型的な母親像。

傍聴席で、きっと正面を見ている表情や、結審の日の淡いブルーの韓服姿が印象的。

息子の無罪を信じ、晴れ着を着たのだろう。

国ぐるみでなんの罪もない若者を陥れ、徹底的に拷問してありもしない自白をでっちあげる様子が、これでもかとスクリーンに映し出される。

庶民の哀感だとか、ふつうの日常だとかに逃げずに、むき出しの権力のガチンコ描写。少なくとも、そこから目をそらすほど衰弱してないんだなぁと思う。

カク・ドウォンが、学生を拷問して冤罪を作る警官を演じているのだが「この仕事こそ愛国」とか「自分たちが仕事をしてるから一般の人は枕を高くして寝られる」とか、「自分が決めるんじゃない、国が決めるんだ」などのセリフを聞くと、この人たちはどこまで本気でこういうことを信じていたのかなぁと思う。

この時代に大学生だった、つまり拷問される学生と同年代のわたしがまだ50代。拷問した側の人間もまだまだ存命だろう。ふつうの市民として、その後も生き続けているはずだ。

そのときにどうやって自分自身と折り合いをつけ、その後の人生をどう生きてきたのか。凡庸な悪の中の人の声を聞いてみたいものだと思う。

この時代をよく知っている韓国の中高年の人々、そしてモデルとなったノ・ムヒョンが辿ったその後の人生をよく知っている韓国の人々がどんな気持ちでこの映画を見たのか、想像しようとしたがあまりうまくいかない。

わたしはわたしで、いまの日本の現実と重ねて見るしかないのだ。

 

劇場での公開はほとんど終了しているが、もうすぐDVDが出るようだ。おすすめ。

 

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『SING』

映画

sing-movie.jp↑これも予告編が自動で始まって音が出ます。

 

TOHOシネマズ宇都宮で。

もう春休みも終わったので、平日昼間はがらがら。

劇場で見るつもりはなかったんだけど、ミュージカルをたくさん見てる友人が3回劇場に足を運んだということで、それなら間違いないだろう、と見に行った。

宇都宮では吹替のみの上映なので、選択肢はない。

冒頭、キリンが劇場に入っていくシーンを見て「キリンが前に座ったらなにも見えないよね」などとしょうもないことを考える。

この世界では、家や車などのサイズは、動物の大きさに見合ったバリエーションがあるわけではなく、小さい動物はなんらかの方法で嵩上げし、大きな動物は車に乗ってもぎゅうぎゅう詰め、という具合である。

ネズミなどの小さい動物が虐げられているかというとそうではなく、大きなものは小さなものをいじめてはいけないという不文律があるらしく、それを逆手に取って、気の強いネズミが気弱なサルを脅したりしている。現実の人間社会より、弱肉強食じゃないらしい。

そして主人公のコアラも、長年勤めてくれているトカゲのおばあさんがどんなにとんちんかんな行動をしても、いつもやさしく礼儀正しく、バカにすることもない。

クマがネズミを追っかけまわすのも、ネズミがギャンブルでイカサマをしたという理由があるからで、力をかさにきているわけでもなく、このあたりの節度が気持ちいい。

というか、この殺伐とした実社会から見ると、いろいろ悩みはあっても、弱いものに対する配慮が機能している世界って、桃源郷に見えるわ。

映像も隅から隅までよくできているが、ミュージカル映画としても王道という感じ。歌のうまいキャストをそろえていて、聴き応えがある。

しかし、MISIA はさすが。クライマックスにもってくるのにふさわしい歌唱だ。

MISIAのCDも持っているのだが、あまりにも歌のうまいのをひけらかすようで、数曲流すとちょっと鼻につく。

でも、ストーリーがあって、しかも野暮な(?)ルックスのゾウさんだと、どんなに超絶技巧を振り回しても、嫌味がない。

キャラクターの中でとくにおもしろかったのは、子沢山のブタの夫婦。

妻は専業主婦で、25匹の子ブタの世話に追われ、夫は遅くまで仕事をし、疲れてよれよれになって帰ってくる。

この夫が、ものすごーく疲れた雰囲気で死んだような目をしているんだけど、妻へのねぎらいや感謝の言葉、料理をほめたりすることを忘れないのである。夜中に妻が話しかけても「うるさいな、寝てるんだ」などと突っ放すこともなく、眠そうにちゃんと返事をする。甘い雰囲気はかけらもなく、セリフも一本調子なのだけども、たいへんな生活の中で思いやりを忘れない夫。

エライ!と言いたいところだが、留守の間家事をするピタゴラスイッチ風自動装置がちゃんと動いている間は、妻がいないことにもろくに気づかない。生活のパートナーとしては妻を大切にしているが、相手への人間的な興味は失ってるんだよね。

そして、舞台の上で妻が家庭とはまったく違う、生き生きした別の顔を見せることで、熱烈な愛を取り戻すのである。

主要なキャラクターはみなそれぞれ背負っているものがあって、舞台の上でそれを昇華させていくんだけど、いちばんはじけてぐっと来たのが、このブタのお母さん。

ラストで、ちゃんとイカを回収したのがツボでした。

 

 

 

 

 

『パンドラ』

映画

『パンドラ』-輝国山人の韓国映画

公式サイトはない。

なぜかというと、Netflix が版権を取得したということで、どうも劇場公開はなさそうだから。

japanese.joins.com

ということで、当然 Netflix で見た。

www.netflix.com

 キム・ヨンエ追悼。

このあとにドラマには出ていたようだが、映画はこれがたぶん最後。

田舎の食堂の母ちゃんで、身勝手で騒々しく愛情深く、そして自分が間違っていたと思うと、きちんとそれが認められる女性の役だった。

威厳のある役もよく似合っていたが、こういう庶民の姿もまたよし。

夫と息子が原発の従業員で、ふたりとも事故で失っていながら、そのまま原発以外なにもない村で、原発の職員相手の食堂を続け、下の息子(キム・ナムギル)も原発に勤めさせる。なんとかここを抜け出したいと、遠洋漁業の船員になる、と言い出す息子に大反対する母親。

生活のためにいろんなことを飲み込んで、それ以外に生きるすべを知らないんだろうなぁという感じ。

キム・ナムギルは、この映画ではかっこよくもなく、セクシーでもない。

言うことは威勢がいいが、母親と兄嫁、そして幼馴染の恋人の女性3人に首根っこをつかまれていて、頭が上がらない。

映画としては、もう最初からストーリーラインがわかっているテーマで、さらに韓国映画特有の、「もういいやん」と言いたくなるごりごり押してくる演出。

とくに、死に際してテレビを通じて家族に語りかけるとか、そこまでやるか、と思って見ていたが、キム・ナムギル、さすがにうまかった。

最初は感謝の言葉を述べ、かっこよく語りかけていたのが、だんだん本音が出てきて「母ちゃん、怖いよ」とつぶやくあたり、圧巻。

ありきたりといえばありきたりだが、パニックにかられて脱出しようとする群衆の描写とか、臨場感があった。

しかし、キム・ミョンミン演じる大統領が、自分の無力さに打ちひしがれて、対策本部をほったらかして執務室に引きこもり、妻にちょっとはっぱをかけられると、急にはっとなって自分の職務に戻るって、皮肉ですかこれは。

それと、ごひいきのチョン・ジニョンだが、あまりに一直線の正義の人で、ちょっとふくらみに欠けた。

わたしは311でそれほど大きな被害に合ってないのだが、大地震が起こり、原発が爆発するあたりは、心臓がばくばくしてそのまま見続けられず、数回休憩した。

映画自体の迫力というよりも、現実とオーバーラップしてしまったんだよね。

そして、これだけ被爆しては、登場人物全員助からないだろう、という重苦しさ。

劇場で見るのは厳しかったかも。

地震原発事故の場面は、人によってはつらすぎるかもしれない。

 

 

『皇帝のために』

映画

www.emperor.ayapro.ne.jp

Netflix で。

同名の小説があるので、最初は「お?」と思ったんだけど、ぜんぜん関係なかった。こちらもかなりおもしろいのでおすすめ。

皇帝のために (韓国文学名作選)

皇帝のために (韓国文学名作選)

 

 イ・ミンギはかなりキャリアのある俳優のようだが、今回初めて出演作を見た。

(画像はすべて公式サイトからいただきました)

画像のこのシーン、カメラ目線で歯を食いしばる表情とか、キメ顔がすごく魅力的。

背が高くてスタイルがよく、アクションシーンもなかなか。

まあ、この映画自体は、パク・ソンウンがお目当てで見たのだけれど。

 ヤクザのボス、それもけっこう頭脳派の役がよく似合う。

と、俳優はかなり好みであったが、映画自体は、ちょっと残念なでき。

 セリフで説明しすぎと、別の映画には文句を言ったわけだが、この映画はそのあたりの映画的文法はちゃんと押さえている。

パク・ソンウン演じるボスと、さらにその上の大ボスが語り合っていると、ガシャーンという音。手下のひとりが、誤って高価な青磁のツボを割ってしまったのだった。膝をついて必死で謝罪するが、大ボスは「工事現場に埋めておけ」と冷たい一言。

すると、イ・ミンギがパク・ソンウンの耳元でなにかつぶやき、次のシーンでは、テレビニュースで「工事現場から遺物が出て、工事が中断」と伝えている。

割れた壺を利用してライバル会社の工事現場に埋め、工事を止めてしまうというアイデアをボスに提案したので、粗忽者の手下は助かった、ということがわかる。

このあたりのテンポ、省略の仕方がとてもすっきりしていてうれしくなったのだが、その後はセリフで説明しないのはいいけど、「は? なんでそうなるの?」ということの連続で、シナリオ自体にかなり問題があることがわかった。

激しいセックスシーンは描かれるけど、なぜ女の借金の肩代わりまでしようと思ったのか、その理由がよくわからない。愛には理由なんてないと言えばそれまでだけど、登場人物がキャラに合わない行動をするときは、やっぱりそれなりに説明が必要だよね。

パク・ソンウンの最後の行動の理由も「たったそれだけのことで命かけるか?」としか思えなくて、見ている方はぽかーんとする他ない。

ほかにも、アクションシーンが狭い通路のような場所ばかりとか、敵を陥れるにもいつも同じパターンとか、ちょっと工夫がたりんわ、と感じる点も多かった。

舞台はプサンで、都会的な高層ビルと田舎臭い港町のふたつの顔を持つ魅力的な町だ。プサンのあちこちでロケしているわりには、そういう魅力もあまり感じられなかったことが残念。

 

皇帝のために [DVD]

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ごっこ遊びは終わらないー『お嬢さん』

映画

ネタバレについては、ブログヘッダでも警告しておりますが、この記事は結末まで書いてありますのでご注意ください!

 

支配階級である日本人になりきりたい朝鮮人の金持ちの上月(チョ・ジヌン)、日本人の伯爵になりすまし、金持ちの令嬢をものにしようというハ・ジョンウ、男たちは自分が演じていること、偽物であることに自覚的だ。 ちょっといかれた令嬢のふりをして脱出を画策する秀子(キム・ミニ)、泥棒で詐欺師であることを隠して、忠実な使用人を演じるスッキ(キム・テリ)、女たちはどこかはみ出した自分の状況をやすやすと受入れ、演技のはずが演技ではなくなってくる。 そりゃ、自分でも演じているのを忘れたほうが強いよね。

『お嬢さん』 - Te doy mi corazon

メイドであるスッキは、秀子の着替えの世話をするのが仕事である。

(背中にびっしりと並んだボタンのエロチシズム!)

秀子は、スッキに自分のドレスや着物を貸し与え、お人形のように着せ替えて楽しんでいる。「お嬢さんごっこ」という遊びだが、やっていることはスッキが秀子にふだんしてることと同じだ。

このごっこ遊びの役割の入れ替えが、映画としての伏線になっているのだが、それ以上に、遊びを通じて、彼女たちの意識が、お嬢様とメイドという関係から、対等な関係へと近づいていくのがおもしろい。

ふたりのセックスも、最初はスッキが藤原伯爵の役を演じる、いわばごっこ遊びだ。それが、いつの間にか、藤原はどこかに行ってしまい、ふたりだけの行為になる。

ごっこ遊びといえば、この映画にはあまりにも印象的でグロテスクなシーンがある。

客の前で卑猥な本を朗読させられている秀子の頭上から、木でできた等身大の人形がするすると下りてきて、秀子はその人形と宙吊りの状態で、本の中に描かれている性行為を演じる。エロチックというより、なんとも妙な絵面で、劇場では笑いがあちこちで起きていた。

生身の女性と人形との絡みの珍妙さに笑ったのか、こんな珍妙な実演にコーフンしている紳士たちを笑ったのか、それはよくわからない。

これも同じくごっこ遊びと言えるのかもしれないが、女性たちのごっこ遊びとの決定的な違いは、ほんとうは別のものを欲しているのに、それは外聞等の事情で手に入らないから、その代用品として消費されているということだ。

ほんとに見たいのは、男女の絡みだろう。

稀覯本愛好者」という仮面の下に、性的な欲望を幾重にもくるんで、興奮に悶える紳士たち。不気味な上に滑稽だ。

それでは、スッキは秀子にとって藤原の代用品なのか。ほんとにほしいのは藤原か。

いや、ぜんぜんそうは見えない。スッキとふれあいたいのが先で、藤原だったら、というのは単なる口実に見える。

藤原偽伯爵が、詐欺の手段として日本人の伯爵を演じているように、上月も階級上昇の手段として、日本人を演じている。

ほんとうに日本人にあこがれ、日本人になりたいのであれば、古女房を屋敷に置いておかないだろう。美しい日本人の妻より、やはり気心のしれた元妻がよいのである。ふたりきりになったら、朝鮮語で思う様しゃべっているに違いない。

男二人が殺し合うラストシーンも、彼らがほんとうはなにを欲しているのかさえわからなくなり、とんちんかんな行動をしているのが、なんとも言えず滑稽だ。

上月は藤原偽伯爵の指を切り、手の甲に穴を穿って拷問する。使っている道具は製本道具である。どこまでも本に祟られている。

凄惨な拷問を加えながら、聞きたいことは「秀子との性生活はどうだったのか」。これも笑える。藤原がほんとは秀子に拒否されていたのに、見栄をはってそれを言わないのも、この期に及んで、という感じである。

「ちんぽを守って死ねてよかった」という最後の藤原のセリフも失笑が起こっていた。そこか、と思うよね、ふつう。死にたくない、この苦痛から逃れたい、というのがほんとのところのはずなのに。

ごっこ遊びが本気になって、屋敷をまんまと抜け出したふたりの女は、偽旅券で日本人夫婦に仮装して船に乗り、朝鮮を脱出する。

緊迫した場面のはずだが、まるでコスプレをしているように軽やかで、楽しそうだ。

彼女たちは復讐なぞ考えていないし、男たちがどのような末路をたどったかも知らない。

復讐をテーマにしていたパク・チャヌクが、復讐を捨てた瞬間。この映画だけでなく、ずっと見ていたファンにとっては、なんとも感慨深いラストだった。