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映画を見た記録です。映画評ではなく、個人的な感想。
ネタバレは気にせずに書いていますので、未見の方はご注意ください。

『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

映画

www.kinenote.com

Netflixで。

冒頭、死者のための高層ビルを地下に作ったら云々という主人公のモノローグを聞いて、土葬する文化だとそういう発想になるのかぁ、とどうでもいいところに感心した。
 
なんとも胸が痛い、というと、『天才スピヴェット』と同じ感想になってしまうが、物語の構造としても似ている。
肉親の死という大きな悲しみ、そして罪悪感を背負った幼い主人公が旅に出る、天路歴程の物語。
そして、多くの人との出会いを通して成長し、やがて苦しみを克服していく。
祖父がであった災厄と父の災厄との連環、そして、最初に会った人が探していた人だったというストーリーが、寓話めいている。
 
主人公の少年はとても賢いけれども、人より鋭敏に生まれついて、だれもが簡単にできることに抵抗を感じてしまう。
言ってみれば、かなり育てにくいタイプの子だ。
両親はそんな息子を理解し、慈しんで育てている。
子供の服装や部屋のようすを見ると、手をかけて育てていることがよくわかる。
とくに父親は、「NYにあったがいまは失われた第6区を探す」というゲームを通じて、少年の社会性が育つよう工夫している。
ゲームだとは言わず、事実を探索しているように装っているが、賢い子だから父親の意図はわかっている。
でもバカにしたりするわけでなく、子供らしく真剣に取り組んでいるようすが、なんともほほえましい。
 
トム・ハンクスのよき父ぶり、よき夫ぶりがとてもいい。
それだけに、失われたときの喪失感の大きさたるや。
そして、だれにも言えない自分だけの秘密を抱えた苦しみを知ると、そうでなくても苦労が多い性質なのに、こんな残酷な運命を与えられるなんて、と見ている方も胸が苦しくなる。
 
「間借り人」への告白、そして、探していた人への告白を通じて、少年が胸の痛みから解放されるエピソードが印象的だ。
別の場面で、自分の来歴をしつこく聞きたがる少年に対して、「間借り人」が "My story is MY story." と言う。
文脈は違うが、自分だけの物語を他人と共有することが、どれだけ大きな力を持つか、ということも、この映画の通奏低音になっている。
 
たいせつな人をとつぜん亡くしたとき、その理不尽さに耐えきれず、怒りのほこさきが身近にいる別のたいせつな人に向かってしまい、いちばん支え合わなければいけないときに関係がぎくしゃくするというのも、よくある話だ。
「お母さんだったらよかったのに」という言葉の、なんと悲しいことか。
 
ニューヨークで、11歳の子供が知らない人を訪ね歩くのを見て、えー、危ないじゃないの? とびっくりするのだが、祖父の出現と母の配慮にうまく回収されるのもいい。
しかし、こっそり子供の先回りだなんて、そんなにうまいこといくのかな? という気もするけどね。
 
「間借り人」役のマックス・フォン・シドーの存在感が、この物語に重みを与えている。
最初に出会う夫婦のヴァイオラデイビスジェフリー・ライトも好演。
 
傷つき悲しんでいる相手に対して、少年が「キスしてもいいですか?」「ハグしましょうか?」というのが、日本にはない習慣だけに、そういう共感の示し方、慰め方もいいなぁ、と思う。
もちろん子供、または同性に限るけどね。