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映画を見た記録です。映画評ではなく、個人的な感想。
ネタバレは気にせずに書いていますので、未見の方はご注意ください。

ごっこ遊びは終わらないー『お嬢さん』

映画

ネタバレについては、ブログヘッダでも警告しておりますが、この記事は結末まで書いてありますのでご注意ください!

 

支配階級である日本人になりきりたい朝鮮人の金持ちの上月(チョ・ジヌン)、日本人の伯爵になりすまし、金持ちの令嬢をものにしようというハ・ジョンウ、男たちは自分が演じていること、偽物であることに自覚的だ。 ちょっといかれた令嬢のふりをして脱出を画策する秀子(キム・ミニ)、泥棒で詐欺師であることを隠して、忠実な使用人を演じるスッキ(キム・テリ)、女たちはどこかはみ出した自分の状況をやすやすと受入れ、演技のはずが演技ではなくなってくる。 そりゃ、自分でも演じているのを忘れたほうが強いよね。

『お嬢さん』 - Te doy mi corazon

メイドであるスッキは、秀子の着替えの世話をするのが仕事である。

(背中にびっしりと並んだボタンのエロチシズム!)

秀子は、スッキに自分のドレスや着物を貸し与え、お人形のように着せ替えて楽しんでいる。「お嬢さんごっこ」という遊びだが、やっていることはスッキが秀子にふだんしてることと同じだ。

このごっこ遊びの役割の入れ替えが、映画としての伏線になっているのだが、それ以上に、遊びを通じて、彼女たちの意識が、お嬢様とメイドという関係から、対等な関係へと近づいていくのがおもしろい。

ふたりのセックスも、最初はスッキが藤原伯爵の役を演じる、いわばごっこ遊びだ。それが、いつの間にか、藤原はどこかに行ってしまい、ふたりだけの行為になる。

ごっこ遊びといえば、この映画にはあまりにも印象的でグロテスクなシーンがある。

客の前で卑猥な本を朗読させられている秀子の頭上から、木でできた等身大の人形がするすると下りてきて、秀子はその人形と宙吊りの状態で、本の中に描かれている性行為を演じる。エロチックというより、なんとも妙な絵面で、劇場では笑いがあちこちで起きていた。

生身の女性と人形との絡みの珍妙さに笑ったのか、こんな珍妙な実演にコーフンしている紳士たちを笑ったのか、それはよくわからない。

これも同じくごっこ遊びと言えるのかもしれないが、女性たちのごっこ遊びとの決定的な違いは、ほんとうは別のものを欲しているのに、それは外聞等の事情で手に入らないから、その代用品として消費されているということだ。

ほんとに見たいのは、男女の絡みだろう。

稀覯本愛好者」という仮面の下に、性的な欲望を幾重にもくるんで、興奮に悶える紳士たち。不気味な上に滑稽だ。

それでは、スッキは秀子にとって藤原の代用品なのか。ほんとにほしいのは藤原か。

いや、ぜんぜんそうは見えない。スッキとふれあいたいのが先で、藤原だったら、というのは単なる口実に見える。

藤原偽伯爵が、詐欺の手段として日本人の伯爵を演じているように、上月も階級上昇の手段として、日本人を演じている。

ほんとうに日本人にあこがれ、日本人になりたいのであれば、古女房を屋敷に置いておかないだろう。美しい日本人の妻より、やはり気心のしれた元妻がよいのである。ふたりきりになったら、朝鮮語で思う様しゃべっているに違いない。

男二人が殺し合うラストシーンも、彼らがほんとうはなにを欲しているのかさえわからなくなり、とんちんかんな行動をしているのが、なんとも言えず滑稽だ。

上月は藤原偽伯爵の指を切り、手の甲に穴を穿って拷問する。使っている道具は製本道具である。どこまでも本に祟られている。

凄惨な拷問を加えながら、聞きたいことは「秀子との性生活はどうだったのか」。これも笑える。藤原がほんとは秀子に拒否されていたのに、見栄をはってそれを言わないのも、この期に及んで、という感じである。

「ちんぽを守って死ねてよかった」という最後の藤原のセリフも失笑が起こっていた。そこか、と思うよね、ふつう。死にたくない、この苦痛から逃れたい、というのがほんとのところのはずなのに。

ごっこ遊びが本気になって、屋敷をまんまと抜け出したふたりの女は、偽旅券で日本人夫婦に仮装して船に乗り、朝鮮を脱出する。

緊迫した場面のはずだが、まるでコスプレをしているように軽やかで、楽しそうだ。

彼女たちは復讐なぞ考えていないし、男たちがどのような末路をたどったかも知らない。

復讐をテーマにしていたパク・チャヌクが、復讐を捨てた瞬間。この映画だけでなく、ずっと見ていたファンにとっては、なんとも感慨深いラストだった。